2006年03月18日
少年時代10
母のこと3
息子さんですか?院長先生からお話がありますからこちらへどうぞ
看護婦さんの神妙な態度に、不安が全身を襲ってくる。
母が倒れて入院して一週間後のことである。
病院での母は、心配かけまいと終始笑顔で気丈な態度とっていた。
だけど、なぜか不安があり普通とは違ってみせるやつれ方に
検査の結果が怖かった・・
院長先生はおだやかな口調でこう切り出した。
「あなたのお母さんは立派な方ですね、病院内でも評判ですよ」
そうですか、と云いながらも静かな口調がよけいに不気味さを感じ
させていた。
「どうやら、息子さんもしっかりされているみたいだから・・
ハッキリ言います。癌の値が非常に高い数値を示していますし
発生場所も肝臓であり、しかも手術も困難な場所にあります。」
この言葉にもう次の言葉など聞けない状態に頭の中が真っ白になった。
「なんとかならないですか?」
「3人の医師達と助ける方法を連日検討したけど、たいへん難しい
という結論です。手術をしても・・その先は保証できない、残念です」
「どのくらい生きれるんですか?」って聞くのが精一杯だった。
「お母さんの体力では・・手術にも耐えられるかどうかわかりません
もって2ヶ月でしょうか」と先生も悲しげに目を向けられた。
「解りました。体重も30数キロとすくないし、切り刻んで苦しめる
くらいなら・・それでも助からないと云うなら、このまま静かに
見送ります・・」とボロボロ泪を流しながらそう言ってしまった。
先生も泪流しながら「君は親戚中から避難を受けたり、辛くなるかも
しれないよ・・それを一身に受けるんですか」
「いいんです。母はきっと理解してくれると思うし、いやです。母を
これ以上苦しめたくないから・・」
「病院は全力で延命に力を尽くしますから・・」と泣いてくれた院長
後ろで婦長も泣いていた。
それからは病院で時間をつくっては母とあれこれ話しをした。
できるだけ、元気にできるだけ明るい話題で。
わりあいに楽しい時でもあった。時々母は、ちいさい声でごめんね
と云いながら、あんたのお嫁さん見たかったなあとか、お父さんが
きっとあんたに迷惑かけていくやろうねえとか云っていたから自分の
死期はわかっていたんだろうねえ。
ある日そろそろ母の日がやってくる頃、母は家に帰りたいと言い出した。
院長先生に相談し、痛み止めの注射もあずかりして連れて帰ることに。
抱き上げて車まで行こうとしたら、あまりの軽さに不覚にも涙が落ちた。
母は、「あぁうれしい」と云いながら僕の顔見つめている。
こんなに痩せてしまって、病気が憎くてたまらなかった。
それから一週間後少しほほえみながら静かに息をひきとった。
苦労に苦労をかさね、最後まで子どもに愛情を傾けて「ごめんね」
が最後の言葉になった。
親戚からは避難を受けたけど、あのやせ細った身体にメスを入れなくて
良かったといまでも思っているし、母の心はしっかり僕のなかに
生きているのだ。
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ウルウルです
母には弟がいましたが優しい人でしたので絶対態度に出ると思い最後の方まで黙っていました。叔父に言ったときは泣きながら「2人だけでしんどかったにゃ」といってくれました。
母は解っていたと思うのですが、最後まで騙されていてくれました。
あれで良かったのだと思うのですが、事実を言ってあげたほうが良かったのかなと思う時もあるのです。
いまだに自問自答しています。
すまん。また賑やかなページに戻るき
許いとうせ。
ママへ
びっくりしました。そうでしたか。
自問自答する気持ちよくわかります。
でも、きっと気持ちは通じ合っていた
と思いますよ。
私も、わくわく村長さんの母のように・・・人を、思いやらなければ。
涙が・・・鼻水が・・・
私の母は元気ですが、祖母の事を、思い出しました。皮膚癌で83歳で亡くなったんですが
ボケて人に迷惑かけられんが、口癖でした。言ってたとうり、ボケもせず・・・1週間寝込んだだけで、亡くなりました。
これからも、楽しく楽しくですよね♪
母のことはこれでおしまい。
でも歴史はまだ続きますよ。
ところで、りんりんさんの住所忘れました。
25日に午後7時からわくわく村民会議を
練習室で(中央公民館)おこないます。
ぜひ、参加ください。