運動会は戦いじゃぁ
学芸会が村いちばんの娯楽としたら
運動会は、一転して昨日の友は今日の敵となり
村をあげて戦いの場となるんだ。まあ、ちょっぴり誇大表現かもしれないが・・・
運動会だってこどもたちはたいへんだ。
選手はもちろんのこと、進行役からBGM係りなどひとり何役もこなす。
僕の村は、下組、中組、上組とにだいたい分かれていて、それぞれに神社も
ありました。たぶん、農作業やまつり事などは組み単位で共同作業することが
多かったと思うから、どこかに負けたくない意識は働いていたろうねえ。
運動会は、紅白に分かれているだけですから、「赤勝てー」「白勝てー」の
声援ですが、いつの間にかこの組み単位が白熱してくるんだ。
僕は走ることが得意だった。短距離も長距離もどちらも速かったよ。
だから、この種目だけに力を入れていた訳だけど、これには深い訳もあった。
僕の祖母は、母をいつもいじめていたし、僕等兄妹もずいぶん叱られていたのだ。
それは、両親が僕等を連れて父親の実家に満州から引き上げてきたとき
村では戦死したとばかり思っていたみたいで、すでに葬式も済んでたらしい。
昭和28年引き上げとなれば、かなり遅い帰国だったからだ。
どうやら祖母にしたらみっともない生き恥じゃということらしい・・
それが原因かどうかは定かではないけど、なにかにつけては祖母にきらわれた。
だから、僕は運動会などは絶対に負けないようにして見返したかったんだ。
一番になると、祖母は大声で「ようやった、さすがあていの孫じゃ」と
周囲に威張っているのだ。でも僕はそうではなくて、これで少しでも母を
じぶんたちをいじめないでと心の中で祈っていたものだ。
僕は、レコードかけながら進行などもやっていた。このレコードがやっかいだ。
レコードには針がある。しかも昔のことですから、まるで釘のように大きくて
なぜか減りやすい。雑音ばかりになるとこの針も換えなきゃならないのだ。
いらんところに神経も使いながら、マイク持ってプログラムの案内もしたり
大道具、小道具だって準備しなくてはならないから大忙しだったなあ。
勝負は、だんだんエスカレートし、「ええかやあいつには負けるなよ」
「この種目はこうせえ」などといった指示までおとな達からでることも・・
中には見方のチームメイトもライバルにさせられたりするんだ。
まあ、心のなかではたいして大人のことなんか聞いてなかったけど・・
そして、負けた方へのやじまでが出る始末だから種目の最後のリレー
なんかになると、「いけー」「負けるなー」と全員総立ちでやっかましいの。
谷間が声援で割れんばかりにこだまし、まさにここは戦場である。
闘い終われば、何事もなかったかのように・・そう宴会が待っているのだ。
現在では、源平合戦のような運動会はけしからんという人もあるけれど
ここでは、これが村の生き様だったのだろう。
おもしろかったなあってしみじみ振り返ると同時にあれはほんとうに
自分たちのことじゃったやろうかと思ったりする。


ひととひととが語り、笑顔になれば、希望がうまれる希望があるから、夢がうまれるんだと教えてくれた村長。世の中、氷のようなニュースばっかりだけど、せめて自分らのまわりだけでも溶かしていたいですね。
ありがとうです。泣かすほどの文章でも
ないと思うけど・・頑張ります。
もうちょっとおもしろいコーナーも
出せてくるやろうと思うから。
昔の思い出話な〜〜んかジーンと来る
そうそう言うて相槌を打ちながら見てます
けど、自分らぁの知らんこともあって
村長との年の差を感じる場面もありますねぇ
まぁ、10年ちごうたら
大違いかもね?
感覚的に特に、最近は!!
やっぱりわたしにとっては映画のワンシーンのよう。
村長のおはなしで映画ができそうですよね。
少年時代5が楽しみ。
10年ひと昔というから、差はあるはず。
だけど、気持ちはおんなじよ。
かんさんへ
現在から見れば遠い遠い昔話だけれど
近頃は昔が優先的に気持ちの中に現れるから
老いたってことかなあ。
minmeiさんへ
お久しぶりです。
きっと昔があるから今があるだろうねえ。
それと、昔のことが良かったから
知って欲しい気持ちも・・・