2006年04月06日

少年時代11


村の掟


僕の子ども時代、この頃って地域が助け合って知恵を出し合いながら

うまく人間関係を確立していた社会をつくっていたように思う。

そんな制度を生きる知恵として合理的に、しかも守らなければならない

絶対的な掟として皆が認め合うことによって、ひとつの社会が成立して

いたような、そんな気がするんだ。


例えば、仕事にしても今日近所の手伝いをしたら、次には自分の仕事

手伝ってくれるシステムがあった。

これを「いい」と呼ぶ。語源は詳しく知らないけれど、たぶん「結い」

から来ているように思う。これには、結びあう、あるいはもよいあうと

いった独特の助け合い精神のようなものがあり、賃金で雇うではなく

「お互いさま」だからと、それがあたりまえのように理解し合ってた。

子ども達だって大人のこういった社会を毎日のように見てきているから

どこかに子どもながらの義理や人情みたいのものが身に付いていったと

思われる。


こうした掟の中に忘れられない制度がある。

それは、神祭りとかその他、村の行事で宴会があるときのこと。

子ども達も一緒の宴会だから、よく覚えているけど始まりは普通に

誰かの挨拶から始まり、賑やかに楽しく盛り上がっていく。


土佐の宴会と言えば「箸拳」である。

これは3本のお箸を使ってじゃんけんをする。単純なゲームだが

相手の表情を読んだり、お箸の握り方などなかなか奥が深い。

負けるとなみなみと注がれたお酒の一気のみが待っている。酔いなが

らのゲームだから、次第にエスカレートして声も荒くなる。そして

およそ2時間くらいもすると、お酒のせいなのか決まって酔いすぎて

グチやら酔狂する人が現れるもの・・

すると、それを見て「謡い」がはじまるんだ。

あの独特の節回しでいて、なんとなくおごそかな空気は突然村人達に

緊張感を呼び起こさせ、全員が正座して声を合わせるんだ。

するとこの酔狂おじさんもしっかり正座して声を合わせているでは

ないか。つまりこれは宴会の締めとして重要な役割を示しているわけで

ここから先は乱れさせないというか、いつだってルールは大切なんだ

という必要不可欠な掟なのだろう。


こうした地域がうまくつきあっていくルールって現代社会では困難に

なってきていると思う。

個々の主張ばかりが目に付き、相手を思いやる気持ちやその場の空気が

理解できない、いや理解しようとしない人たちが増えてきて、混乱を

招いているのだ。いつからそうなったのだろう?豊かな現代かも知れない

が、僕には昔の地域社会が懐かしく好きである。

「ルールを守る」そんな単純なことでも教育しなければ理解できないから

やっかいな時代になったものだと嘆かざるを得ない。







posted by わくわく村長 at 00:14| 高知 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 村長の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とうやくさんちでお目にかかった
うどん男です。
昨日は羽尾に向かう山道でばったり。
ビックリでした。

羽尾いいところですね。
本当に"何もない所"というのが第一印象でした。
でも"何もない所"が最大の魅力ですね。
街にはないピュアな空気を感じました。

あの後、大釜荘でコーヒーを飲みながら
地元の方々のお話を聞かせてもらいました。
お土産に「うど」まで頂いて感謝です。
また行ってみようと思います。
Posted by 麺三郎 at 2006年04月08日 13:06
こんばんは!村長のブログは、なごみます。
文章も、心がこもってるのが、ヒシヒシと伝わってきますね♪ほんまに、最近、夜須に引っ越して来てよかったな〜と思うんですよ♪地域の花見がありました。皆さんいい方ばかり♪でした(^0^)
Posted by リンリン at 2006年04月08日 22:39
麺三郎さんへ

何もない羽尾へようこそ。道中不安だったと思いますが、この隠れ里は魅力ですよ。4月23日にはここで設立記念祝賀会を午前11時からおこないますので
是非、きてください。

リンリンさんへ

照れるなあ・・でも励みになります。
最近、日記も遅れがちですが、がんばりましょう。
Posted by わくわく村長 at 2006年04月09日 08:39
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