2006年03月16日

少年時代9


母のこと2


雨が降ると、ときおり想い出す母のこと。

雨の日は母が家にいて、一緒に居ることが出来たし

針仕事の合間におやつを作ってくれたり、自分のこと話して

くれたりしてたから、いまでも恋しがっているのかもしれない・・


母は、旧満州時代向こうで饅頭やお菓子あるいは餃子や納豆など

中華風のモノが得意だった様子で、年末には我が家はお餅ではなく

餃子をたくさん仕込んでいた。

餡を2〜3日前から仕込む。ニラやにんにくなど混ぜ込み

寝かすのである。そして、餃子の皮も自分で作り一緒に伸ばして

やたらとでかい餃子を並べていく。これが、おもしろかった。

それを蒸していただくのだ。ちょっと臭みもあったけど

ほんとうに美味しい餃子で、いまでもその味が忘れられなくて

あんまり店頭のモノは食べられないでいる。


中学生の頃になると、いよいよ手がつけられないくらいの

きかん坊となっていたぼくは、家庭裁判所にまで連れていかれる

ほどだった。さすがに母も気が滅入りして叱らないけれど悲しい

顔が何日も続いたり、ため息混じりに「あんたはどんな人になるやろねぇ」

「どんなに正しいと思っても暴力は負けだから」などと云いながら、

母の目からこぼれる一筋の泪に心が痛んだものだ。


理由はない・・だけど正直言って貧乏が辛かった。

それは、自分が辛いのではなく自分のことは全部すてて、すべてを

子どものためにと犠牲にしている母の心情が痛いほど解るだけに

何もしてやれない自分の気持ちに行き所がなかったのである。


社会人になって、初めて両親と3人でプチ旅行した。

ぼくは、多少お金持っていたし、できるだけ母に贅沢して欲しくて

美味しいモノあれこれ注文した・・・

だけど母は、あまり食べずにぼくにせっせとあれこれよそって世話

がるのだ。ぼくは少し悲しくなって「いいから食べろよ、俺のことは

いいから」と詰め寄ってしまった。元来不器用だから言葉でうまく伝え

られずに、ついきつい言い回しだったから、「違うそうじゃないんだ

そんなこと云いたいんじゃない」って思いながら・・・・

不覚にも涙が落ちて気まずい空気がただよい、せっかくの旅も暗い

感じになり、自分を責めずにはいられなかった。母は、どうあっても

母の姿勢であり、徹底的に子どもを愛し、自分のことは後回しにして

しまうという心は、ありがたくも悲しい思い出でもある。


そんな母が、ある日大量の鼻血を流して倒れてしまう・・

                     続く




posted by わくわく村長 at 15:11| 高知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 村長の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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