2006年02月11日

少年時代7


テレビがやってきた。


昭和32年頃、つまり小学校1年生頃といえば、テレビは白黒。

しかも、各家庭になどない時代。僕の記憶では、集落に一軒だけ

あって、その家庭で皇太子殿下の結婚式を見たはず。

そして、昭和35年には東芝、三菱、日立家電などがカラーテレビ

をこぞって発売する。

我が家では親父がかなり無理したと思うけれど、なぜかカラーテレビ

を購入したのである。


いよいよ、テレビが到着した日。

家族全員がそわそわと落ち着かない。「映るのか、ほんとに映るのか」

と近所中がワイワイがやがやと騒ぎ立てる。

「まあ、待ちよれや・・いまに映るき」と電気屋もうんざり、ニコニコ。

長い時間かけて、アンテナ立てたり配線したり・・ちっ(怒った顔)

ものすごく長いと感じる。みんなイライラ・・と、何を思ったか

親父殿は、一升瓶片手に庭に座り込むと、皆を手招きして酒を酌み交わす

のである。みんなも触発され、気を静めるように呑んでた。


「やったー、映ったぞー」の声に一斉に立ち上がりテレビの前に行くと

なんとプロレス中継が映し出され、力動山の勇姿が画面いっぱいだ。

空手チョップするたびに歓声があがって大盛況である。わーい(嬉しい顔)

親父殿は、得意満面になりながらグビグビ酒を呑んでた。


それからというもの、雨の日などは朝から近所が集まり、酒を呑みながら

テレビ観戦が続くのである。

ぼくらはテレビを見る時間が決められた。一日2時間くらいなのだが

あまり見ることもなかった。なぜなら、このテレビはおとなの時間みたいな

雰囲気があったからだ。それでも、夏休みなどは朝晩に子ども向け番組

観てたなあ・・


番組の内容はといえば、月光仮面、風小僧、怪傑ハリマオ、少年探偵団など

が、小学校の頃の思い出である。

中学校になると、洋画映画なども放映されていたと思う。

自転車泥棒なんて映画をみたような気がするけど、さだかではない。

テレビの影響はすごかった。なんでも真似して遊んでたと思うし、子ども達は

みんな、ふろしきを背中に羽織って月光仮面になりきってたよ。

画面の中のことが全部身近にあるような気がしてたし、いつかヒーローに

会えると信じてたからねえ。


生活も変わってきた。

両親が夜遅くまで働いていたから、いつも淋しかった生活から

テレビのおかげで寂しさからも、逃れられるようになっていた。

それでもやっぱり家族が揃っての時間がいちばん嬉しかったけどねえ。


この頃から情報というモノはテレビが一番速く伝わって来たし、必然的に

テレビを頼りにしていくことになる。

だから我が家で一番頼もしい存在であり、一家団欒の時を作ってくれていた

テレビこそが中心的な役割を示していたと思われる。



いまでも、相撲やプロレス番組をみると、近所が集まって酒酌み交わしながら

みんなが評論家であり、解説者になっていたことがおかしく思い出されるし

ときには白熱して喧嘩騒ぎまでやってのけた、あの時代がなつかしい。

posted by わくわく村長 at 01:22| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 村長の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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