2006年02月02日

少年時代5


宿題より家事手伝い


  昭和30年代当時は、どの家庭も懸命に働いていた。

   子どもだってやることがたくさんある。

 
 家の家族構成はといえば、両親とぼくと妹、それに牛が一頭

 犬が一匹、にわとりが数羽である。あっ・・三毛猫が一匹も。

 といってもこの家族構成ができたのは小学4年生頃だから

 はじめは、やっぱり4人だけの家族でした。


 学校から帰ると、まず牛に餌を与えなければならない。

 これがたいへんな作業である。そりゃあなんてたって相手が牛ですから

 食べる量が多い訳で、茅などをハミキリと呼ばれる大型の押し切り歯で

 3pくらいに切り刻み、それに米ぬかなど加えて混ぜる。

 それをハミオケに入れて食べさすわけ・・

 それが終わると近くの谷川から天秤棒にバケツを担いして風呂水を

 運ばなきゃならない。これがたいへんな重労働である。

 バランスが悪いと水バケツが左右交互に揺れて、ビショビショに濡れるし

 こぼれる分だけ谷川に通う回数が増えるわけで、できるだけそーっと

 歩くと、今度は肩が悲鳴をあげるのだ。

 15回ぐらいは通って、やっと溜まったら薪で沸かさなきゃならない。

 これが、意外と燃えにくくて・・・

 
 さらに、にわとりにも餌をやり、台所チェック。お釜を開けてごはんが

 無かったらお米を研いで焚かなきゃならず、しかも、炊きあがるまで火の

 調節したりと離れることもできないんだ。

 宿題なんてしようと思う頃には眠ってしまう始末。

 でも、そんなぼくが眠っていると、いつの間にか帰ってきた母がやさしく

 そーっと抱いて、ごめんねって言いながらしばらくはそうしてくれてた。

 ぼくは、気づいていてもその心地よさに眠ったふりしてたものだ。

s09.jpg
 
 両親は農業しながら、炭を焼いたり出稼ぎしたりと大雨でも無い限りは

 家に居ることがなかった。だから、たまに雨でも降って家に母がいると

 縫い物したりしている傍で、一日中学校のことや遊びのことなど喋り続け

 てたけど、母はニコニコしながらずーっと相手してくれたなあ。

 
 当時はどの子も家庭を手伝うのは当たり前というより、言われなくても

 することが自然なかたちで、誰も不満をいうことはなかった。

 学校だってそんな環境は解っているから、宿題してなくても叱ることなく

 先生と一緒に問題を解いたり、そこから自然に授業に入っていったりして

 まるで女先生が母親であり、男先生が父親という役目で学校と言うより

 大家族のような雰囲気であった。

 それでも、学校に蛇や蛙、トカゲやもぐらなど持ち込んでは女先生に叱られ

 男先生にたしなめられては、近くの草むらに離してやったりしてたから

 女先生に甘えていたかも。

 
 ぼくのこころの奥にある遠いふるさと。ときおり、どこからか声が聞こえる。

 にぎやかな子ども達の声が・・母のやさしい声がね。

 ふるさとがあるっていいもんです。
 

 
posted by わくわく村長 at 10:10| 高知 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 村長の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今日もしみじみ読みました。
お風呂にはいるだけでも大変だったんですよね。
子供だってみんな役割を持って働いてたんですよね。
なんか生活の中にある美しさを感じます。なんでもあたりまえのようにあって、なんでも手に入る今の時代がおかしいのかも。

私たちがいっている教会の活動でメキシコの村に家を建てにいくというものがあります。私たちは行かなかったんですが、活動に参加したお友達が、村の生活は美しかった、、、と話していました。生を感じるっていうのかな。
逆にこちらに戻ってきて、生とはかけはなれた薄っぺらいコマーシャライズされた世界にあらためておどろいたって。なんか分かる気がする。
Posted by かんさん at 2006年02月03日 13:52
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